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Tetsuko

Author:Tetsuko
バイクや車で日本中を旅し、中米にも住み着き、やっと終の棲家(になるのか?)を見つけました。
子どもも若者もお年寄りもわんこも、みんながふらっと来てふらっと帰っていくような場所を自分たちの手で作りたい!とプロジェクトK(古民家再生プロジェクト)を立ち上げました。
しろうと集団でどこまでできるか???がんばります!

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伊那谷に冬到来

2016.12.01 20:28|日々是好日
第6回作業の後、週末ごとに、そば祭りや学園祭あらし(オバチャンズによる)、諏訪、茅野散策などして秋の信州を満喫(*^_^*)

紅葉真っ盛りの原村
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茅野の古民家イタリアン梅蔵
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こちらも茅野の古民家カフェ陶仙房
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そして、諏訪大社上社近くの資料館にはこんな不思議なものが・・・。
飛行船_320
こちらは茶室だとか。なんとかという有名な建築家によるものらしい。
        空飛ぶ茶室_320

信州大学農学部のユリノキ並木も黄色く色づき、
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高遠城址公園も美しく紅葉し、
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古民家の雑草も色づいた。
        ボニ足_320

そんな秋を満喫していたら、思いもかけず、11月の雪
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油断していたので、週末朝到着したら水道凍結!
すぐに溶けたけれど。
いよいよ、厳しい冬がやってくる。
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精霊流し

2016.10.01 16:22|日々是好日
長崎では初盆を迎える家は故人の霊を弔うために手作りの船を造り、8月15日に船を曳きながら町中を練り歩き極楽浄土へ送り出す。
長崎人にとっては普通の年中行事だが、長崎人ではない人には驚きの行事のようだ。
船の大きさは1メートルくらいのものから10メートルまで。大きな通りを練り歩くので10メートルという制限が設けられているのだが、それでは満足できない家は10メートルの船をつないで2連結や3連結したりする。
大きな会社の社長さんや長崎の名士がなくなった年は大きな立派な船が出る。
長崎ではテレビ中継まである。

うちも去年父が亡くなったので、この夏、小さな精霊船を作った。
船の土台は業者に注文。(長崎には精霊船やというビジネスが存在する!)
トラックで配達された。
          DSC_0940_320.jpg これに親類縁者で飾りつけをしていく。  

父は40年以上、バス会社に勤務していたので昔のバスから最新のバスまで数種類のバスのペーパークラフトを作って飾った。
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ようやく完成。
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その後、親族みんなでお墓に行き、提灯のタワーを立て、大人も子どもも花火をする。ロケット花火や爆竹も。長崎人はお墓で花火をするのは当たり前だと思っているが、県外の人には異様な光景らしい。
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フルーツやらくがんといったお供え物とともに、毎日ウォーキングで履いていたスニーカーやらよく使っていたものやら好きだったものやらを船の中に入れ、夕方5時ころ、自宅を出発。
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市内の中心部は各地から船が集まってくるので、精霊船の行列が見られる。
この一夜のために何十万円、何百万円の船を作る長崎人。
今年はさだまさしのお母さんが亡くなったので、佐田家のすばらしい船が出た。(長崎人の間では1000万円以上だという噂)
201608150002_000[1]
(西日本新聞より)


もう一つの驚きは、そのうるささ。
各家には爆竹係がいて爆竹をひっきりなしに投げながら歩くので、耳栓は必須。
爆竹は魔除けになるという中国文化から来ているそうだ。
花火代に100万円以上かける家はざらだし、長崎全体では一億円も花火を消費しているらしい。
このごう音の中でも、長崎人の心はさだまさしの歌のようにもの悲しい。
長崎人ではない息子も、「船を曳いて歩きながら、小さいころ、じいじとよくこの辺りを散歩したなぁって、しんみりしたよ。」と言った。化学の単位を何回も落としても、そんな気持ちになれることのほうが大事!と思う母であった。

当日、深夜から大量の清掃アルバイトによって、積もり積もった爆竹ゴミを一掃して、翌朝は何事もなかったかのように新しい一日が始まる。
長崎人の熱くてもの悲しい夏はこうして終わりを告げる。

自然からいただく暮らし

2016.10.01 14:35|日々是好日
第4回古民家作業の後、信州の短い夏がやってきた。
土地はあるが、大きな畑を作る腕も自信もなく、猫の額ほどのミニ菜園を作った。
ミニ菜園に、ズッキーニ、オクラ、トマト、シソ、ボタンこしょうなどの苗を植え、クラントロ(パクチー)の種を蒔いた。
とはいえ、週に一度草むしりをするくらいで、ほぼほったらかしのほったらかし菜園・・・いえ、自然農法菜園である。
肥料も米ぬかを蒔いたくらいで、何もなし。農薬も一切なし。
あぁ~、究極のオーガニック菜園ではないか!

この夏は雨が少なく、いつ枯れるか…と心配したが、クラントロはすくすく大きくなり、いつもはチマチマと使うのに、イやというほどタコスに入れたり、うどんに載せたりして食べた。
IMG_1735_320.jpg  IMG_1749_320.jpg
ズッキーニの大きな花も咲き、オクラの美しい花も咲き、とうとうたくさんの実をつけた。
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トマトはまさかこんなに大きくなるとは思わず、短い支柱を立てたのだが、全く役に立たず、わさわさと地を這った。
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おてんとうさまと雨と土の恵みである。

ある日お隣のIさんから「桃獲りに行くかい?」と誘われ、朝4時半からおじさんの畑へ。
「根っからの百姓だ」というIさんも無農薬で野菜やコメを作っている。
畑にはいろいろな野菜とともに、大きくて立派な桃がどんぶらこ・・・ではなく、木にたわわになっていた。
好きなだけ獲っていいと言われ、我が家で食べきれもしないのにトレイにあふれるほど獲る欲深な私。
IMG_1837_320.jpg IMG_1861_320.jpg
「売ったらいいのに」という私に、「いや、食べたい人に食べてもらえばいいんだ」というIさん。

都会の人間は、人が生きていくのに必要なものは何も作れず、すぐにそれをいつどこにどう動かせばよりお金になるかということばかり考える。
ここの人たちは、自分たちが生きていくのに必要なものを自分の手で作り、多くは望まない。
毎日、4時に起き、おてんとうさまを眺めて働く暮らし。
この後、米、リンゴの収穫を終えたら、冬眠(?)に入るという晴耕雨読の暮らし。
自然から命をいただく暮らし。
本当の人間らしい暮らしってこんな暮らしじゃないかな。

トウモロコシの季節も終わり、信州の短い夏は終わった。
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くろおびやさん

2016.05.10 01:14|日々是好日
 よしえさんのブログを見てからこのお店が気になってしょうがなかった。
 古い蔵を元の状態にそのまんま再現するのではなく、新しい感覚で新しい命を吹き込んである蔵。
 古民家に通うたびに、前を通って覗くのだが、、いつも閉まっていた。
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 それが、4月の中旬通ってみると、どうも電気がついている。そして、
「ん?名前が代わってる!?」
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 「えっ!?ベーグルやになったの?」
 ますます気になる。
 餅つき大会の帰り、満を持して寄ってみた。
 
 この蔵カフェと店主との出会いは衝撃的だった。

 蔵の中の様子は想像以上。
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 どこからこのアイデアが沸いてくるのか・・・。
 教えてもらいたいことがたくさんある。
 ベーグルを食べながら、店主に、なぜずっと閉まっていたのか?なぜうどんやじゃなくなったのか?どういうふうにこの蔵を再生したのか?から始まっていろんな疑問をぶつけてみた。
 半分壊れかけていたこの蔵を誰の手も借りずにたった一人で直したこと、できあがるまでに10回泣いたこと、権力のあるものが大金を出すと言ってきたけど断ったこと、これからどうしたいと思っているかなどなど、アツく語ってくれた。
 自分も壊れかけた蔵と母屋を買って、今、仲間と一緒に直していることを話すと、この白州の町を案内するからと言って店を閉め、自転車でこの町の魅力的な蔵や古民家、今再生中の古民家など案内してくれた。
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 くろおびやからこの白州を変えたい!と言う彼は、今まで私が出会った数々の人の中でもトップクラスのアツいアツい男だった。
 自分がこっちだと思う方向に進んではいるのだが、いったいどこに向かっているのかわからず、それでもガンガンと前に進むしかない・・・そんなときが私にもあった。
 それがいつの間にか、流れに流されたり、とんがっていた角が少しずつ取れた丸くなったり、炎が少しずつ静かなおき火のようになってきた。
 歳のせいもある。でも今は、ガンガン前に進まなくても、ゆっくりゆっくり進んでも、時にはその場に立ち止まってもいい、いやそっちのほうが心地よい、と思えるようになってきた。
 
 自分のことや自分の思いをさらけ出すことで、人と人が繋がり、道が開けるというのは私が常々感じていることで、まさに彼はその典型的な人だと思う。
 彼がこれからどんなことをやってくれるのか、白州がどう変わっていくのか、とても楽しみだ。
 
 

形見。

2016.01.12 21:25|日々是好日
 昨年、父が亡くなった。
 平凡なサラリーマンとして真面目に働き、平凡な人生を生き、寿命を全うした。
 社交的な母に比べて、口数も多くなく、不器用なところもあった。
 私は18歳で家を出て、たまにしか帰省しなかったので、二人でゆっくり話した記憶はほとんど無い。
 そんな父の形見として、カメラと時計をもらった。
 カメラは、几帳面な父らしく、数年前に買った物なのに、買った時のままの箱にきっちり入れられ、本当に使っていたの?と疑うほど、ピッカピカ。
 定年後、町の写真クラブに入っていたらしく、時々は撮影に出かけていたそうだ。
 カメラはNikon D5100と、このミラーレス一眼。
            ピンクカメラ_400
 このピンクのカメラといい、レトロなカメラケースといい、これは若いカメラ女子の持ち物じゃないのか?なぜこんなものを買ったのか?と、いまや物言わぬ父に訊いてみたくなる。
この二台のカメラの中には父の撮った写真が残っていたが、素人の私が見ても、「こんなの一眼レフでとる必要あるの?」と言うような写真ばかり。
 父がどんな気持ちでこれらのカメラを抱え、どんな気持ちでこの被写体に向かったのか、いろいろと想像してみる。
 返事は返ってこないが、画像を通して、ちょっと父と話ができた気になる。
 
 そして多くの動かない時計。
 時計は好きだったようでたくさんあった。でも、どれも止まっており、「ロレックスとかの金めの時計はないよなぁ」と言いながら、「電池換えれば使えると思うから好きなもの持っていきな。」と母に言われ、一本は息子に一本はダンナにと二本もらった。
 先日、町田に用があったついでに電池交換をしてこようと、動かない時計を持って出かけた。スマホで「時計電池交換」と検索してみつけたのが「買い取りショップ お金のなる喜」。
 住所を頼りに探し、ついたところは小さな雑居ビル。看板はあるが、お店は無い。だいたい名前からしてアヤシイ。よくよく見ると当ビル三階だと。ビル入り口がまた実にアヤシイ。やめて帰ろうと思ったが、「時計電池交換600円~」という宣伝文句にひかれ、思い切って、狭くて薄汚い階段を三階まで上ってみた。そこには小さなドアがあった。おそるおそるちょっとだけあけると、小さな部屋に店主らしき人と、客らしき人が向かい合って座っている。
 すぐに女の人がやって来て、こちらでお待ちください・・・と別の部屋に通された。ますますアヤシイ。
 お茶まで出されたが、不安はつのる。
 女の人から「お持ちになった時計は?」と言われ、持っていった時計をテーブルの上に出すと、すぐに一本の時計を見て
「このブローバの時計は自動巻きですから動きますね。」と言う。
「(ん?ブローバっていうのか。自動巻き?電池じゃないってこと?)」
「主人がキチンと見ますからお待ちくださいね。」
「(ふ~ん、ご夫婦でやってるんだ。アヤシクはないのかも・・・。)」
ストーブの上の鍋をひょっとのぞくと小豆がいい感じでコトコト煮られており、これはアヤシイところではないと確信した。

前の人が終わり、私の番になった。
ご主人は二本の時計を見るなり、「このブローバは自動巻きだから腕につけて動かさないと止まるんだけど、つけてると動くと思うよ。ブローバって音さ時計を作ったメーカーなんだよ。いい時計だよ・・・」などなどブローバについて語る店主。
もう一本は、「このRitmo Ratinoは1994年頃流行ってねー。だいぶ売ったよ。あの当時8万ちょっとくらいだったかな。・・・」などなど、またこの時計について延々語る店主。
            時計1_400
「6年前に電池交換してるね。」「自分は20年くらいデパートの時計売り場にいて、時計が大好きだからずっとそのまま時計やでやっていきたかったのに、オヤジからこの汚い雑居ビルを任せられた」などなど話しながら目の前でちょいちょいっと電池の入れ替えをし、丁寧に磨いてピカピカにしてくれた。
 父が亡くなり、形見としてもらったこの時計を祖父から孫への成人式の記念として渡したいことを告げると、それならベルトを交換した方がいいと言う。これはこれでいいが、交換したほうが若々しくなるし、一段とおしゃれになるというので、ここはもう時計を心底愛する店主お任せで交換してもらった。
           時計2_400
 ブローバの時計にはオレンジ色のベルトが着いていた。「このベルトも換えたほうがいいですよね。」「いや!これはこのままでいいと思う。このベルト、交換した跡があるから、お父さんが換えたんだね。自分もこんな使い方、勧めるよ。ハイセンスな人だったんだなぁ~」「(ハイセンスな人なんて一度も思ったこと無かったけど、そうだったのかなぁ。)」
「このままでも動くと思うけど、永年ほっといたからちょっと中を見てきれいにしてあげるよ。1000円でいい。」ということでお預かりになった。

 思い切ってアヤシイ階段を上ってきてよかったと店主に告げると、「そうでしょう。ここで防犯カメラのモニター見てると、若い女の子なんかみんな帰ってくよ。2014年に公開された映画「まほろば駅前狂騒曲」はここで撮影したんだよ。」と言う。

 口数が多くなかった父の残したものが多くを語り、こんな人ともつなぎ合わせてくれた。
 高価なロレックスなんかもらっていたら、すぐ売ってお金にしていたかもしれない。
 すばらしい形見をもらった。
 
 実は、引き出しの奥からこんなものも出てきた。
             インゴッド_400
 桐の箱に入っていて、大きさ、重さ、光具合など、本物かもと期待した私たち。
 しかしその淡い期待も、母の「あ~、それ、バスツアーで鯛生金山に行った時のお土産」という一言で、直ぐに消えたのであった。

 

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